波動の場の原理と理論 1 [波動]

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『波動のマジックボックス -SE-5による分析とバランス-』 (ドン・パリス著)より

これは、いよいよ冒険になりつつありました。誰かが、夢の中で授業を行ってくれるなんて、想像できますか?その日は一日中、大学の学費に費やしたお金のことを考えていました。あれはみんな無駄だったのでしょうか?私にはまだ、夢の中で得た情報を確かめるすべはありませんでしたが、なんとかしてあの機械を手に入れて、自分で実験をしてみることができるはずだと確信していました。眠りにつく前に、アルにこのことを尋ねるのを忘れないようにしようと自分に言い聞かせました。でも、聞き覚えのある、シンポジウムのあの声が聞こえた途端、それは私の記憶から抜け出してしまいました。

「SE-5の使い方がいくらか理解できたところで、次にその仕組みを考えて見ましょう。」自分が今どこにいるのかはっきりわかった時、アルがこう言うのが聞こえました。「この機械がなぜこのように働くのか、という説明は、一つのモデルであり、解釈にすぎないことを忘れないでください。あるものが作用する理由を「本当に」知っている人などいないのですから。我々は物事の作用の仕方についてはたくさんのことを知っています。電気の法則や原理はわかっているとしても、世界一の科学者でさえも「なぜ」それが作用するのかということは説明できないのです。もしかしたら哲学なら、いくらかましな答えが出せるかもしれません。私はここで、SE-5がやってのけるような遠く離れた対象への作用を含む現実モデルの実証と、最新の研究とを結び付けたいと思っています。
絶対に把握しておく必要性がある基本的な知識の一つは次のようなことです。SE-5は情報に対応して作用するのです。SE-5は電気、磁気、光線、電波、ガンマ光線などあらゆるたぐいの放射線、あるいはエネルギーをも送り出すことはありません。ただ、情報をやり取りするだけなのです。」アルは言いました。
「情報を構成するのは何なのですか?」聡明そうな若い男性が尋ねました。
「もっと単純な言い方をすれば、情報とは物に意味を与えるものなのです。」アルは答えました。「空間に一つの点があると仮定しましょう。」
彼がリモコンのスイッチを入れると、私たちの目の前に、一つの光点が浮かび上がりました。
「例として挙げたこの点のまわりにはどのような情報もいわゆる固有情報の場(IDF)もまったくありません。今、この点に3という数字を与えて見ましょう。するとあまり多くはありませんが、それでもこの点は意味を持つようになったのです。たとえばこの点は2でもなく4でもなく、3なのだということを私たちは知っています。数学では、この点をスカラーと呼んでいます。後でこの言葉はまた出てきますので、覚えておいてください。スカラーとはこのような空間にある点に与えられた名称なのです。」
アルは続けました。「では、たとえば私のような人間のIDFを考えて見ましょう。私は青い眼で、音楽を演奏するのが好きで、SE-5で奇跡を起こします。そして、男性であり、いろいろな経験をしていて、肉体と感情をもっており……などなど挙げればきりがありません。空間の3という点とはかなり異なります。人の場合、非常にたくさんの複雑なIDFがあるわけです。」
「情報はいったいどれくらい重要なのでしょう?」私は質問しました。
アルは答えました。「合衆国政府は、年間50億ドル以上の大金を、ただ情報を収集するためだけに使っているのです。これには、たとえば信販会社や通販会社といった私的な事業の経費は含まれません。私たちは、情報が力となる情報の時代を迎えているのです。これが正にポイントなのです。情報を力だと考えた場合、その力は情報そのものが有しているのでしょうか。そうではありません。情報を利用する命あるものが力を持つのです。
宇宙船の作り方を知っているからと言って、必ずしもあなたが力のある人になれるとは言えません。たとえその可能性が高いとしても、力を持つのは情報それ自体ではありませんね。力を実現するには、いろいろな出来事や環境、需要等、たくさんの他の要因が調和的に結びつかなければ不可能です。」アルは言いました。
「私たちの社会で、どれほど情報が重要であるかは解りましたが、それがSE-5とどんな関係があるのですか?」私は尋ねました。
「もうおわかりのとおり、SE-5は情報をやり取りする機械です。こんな風に考えてみたらどうでしょう。私たちの血液中には白血球とよばれる細胞があり、大切な仕事をしています。その仕事とは、血液に入り込んだ異物を食べてしまうことなのです。どうやって彼らはそれが悪玉であり、善玉ではないことを知り得るのでしょう。もしかしたら、それはコンピューターみたいなもので、細胞はハードウェアで、何をすべきか指示を出す簡単なソフトを搭載しているのかもしれません。
それでは、もし、過分なエネルギーを摂取したため、プログラムが焼けてしまったら、そのシステムはどうなってしまうでしょうか。私は、それでもなお、血液中の細胞にはたくさんの白血球が存在するだろうと思います。でも、その仕事ぶりは都会の道路工事のように、働く一人を5人がまわりで眺めている、という状態ではないでしょうか。道路工事の現場では、それをなんと呼ぶのか私は知りませんが、医学の現場では、ぐうたら白血球症候群(Lazy Leukocyte Syndrome)と呼んでいます。
もし、そこにソフト=情報システムに再搭載させる方法があれば、何が起こるでしょうか?細胞はそれに反応し、喜んで仕事に戻っていくでしょう。とは言え、これでぐうたら白血球症候群が治癒したわけではなく、やはり医者の診断を仰ぐ必要があります。でも細胞が幸せなら、私も幸せです。」そう言って、アルは笑いました。
「もしSE-5が電気のような類の物をまったく放出しないのなら、情報はどうやって目的地へたどりつくのでしょうか?」ジョンが尋ねました。
アルは答えました。「簡単な質問ですが答えるのは大変難しいですね。皆さんは、ラジオの電波がどうやって情報を伝達するのかご存知ですね?」
知らない人も何人かいたので、アルは説明しました。
「放送局は電磁気エネルギーをある特定の周波数で送り出しますが、その際に波形または周波数を変調させるのです。振幅変調ラジオ(AMラジオ)と周波変調ラジオ(FMラジオ)の違いは、そこから来ています。音楽やだれかのおしゃべりといった情報は、サーファーが波のうねりに乗るようにラジオ波に乗って伝達されます。これは大変重要なことです。情報は放送局から送信された時も、ラジオが受信したときも、その強さにおいては同等です。50キロワットの放送局でも200キロワットの放送局でも、「Give Peace a Chance/ジョン・レノンの曲です」というメッセージに違いはありません。」
「あなたが言おうとしているのは、こういうことでしょうか?つまり、ジョンは私よりもあなたの近くにいて、より大きな音量であなたの話を聞いていますが、あなたの話し自体はまったく同じ物である、ということです。」私は言いました。
「その通りです。彼がちゃんと聞いていれば、の話ですが。」アルはちゃかしました。「これは、電気的な力と情報の力の違いです。情報はラジオ波に結び付けられているので、ラジオ波が到達する範囲内でしか明瞭に受け取れません。SE-5は、数学的にあまりにも難解すぎて教科書から削除されてしまった電子工学の例外を用いて、この問題を解決したのです。もともとマクスウェルは、今日学校で習っているのとは少々異なる公式を編み出しました。物事がどのように機能するかという点においては、大した違いがないので、そのことはすっかり無視されていますが。大学で電子工学を学んでいた時、私が習ったのはこうです。」彼は別なホログラフのチャートを浮かびあがらせました。

マクスウェルの公式
V1=ai+bj+ck ただしi,j,kは空間における3方向を、a,b,cは係数(定数)を表す。

「いよいよチンプンカンプンでしょうね。」アルは言いました。「この公式の意味するところは、たとえば、このような形の波動があるとします。そこへ、その正反対の波動を加えてやると、結果は全くのゼロ、というわけです。」

「数学的にはこのように表されます。」

V1=ai+bj+ck
V2=-ai-bj-ck
V1+V2=0

「マクスウェルはこの時点で忘れ去られてしまったのでしょう。公式が改ざんされたのは、彼が亡くなった後のことでした。咎められないですますにはそれしか方法がなかったのです。もともとの公式は次のようなものでした。」

Q1=w+ai+bj+ck ただし、Wは重力分子係数(定数)とする。
Q1=w+ai+bj+ck
Q2=w-ai-bj-ck
Q1+Q2=2W

「つまり、2つの波動がお互いに打ち消し合うと重力は2倍になる、ということですか?」若き研究者が尋ねました。
「まさに、その通りです。波動が小さいときは、この現象はあまりはっきりしません。でも、強大なテスラ・コイルで巨大な(電磁気の)波動を作ったと想像してみてください。そしてそれぞれが互いに打ち消し合って消滅したとしましょう。実際、それで重力を変えられるのでしょうか?私の友人に、正確な実験を試みたものがいました。彼らは、重力を増すだけではなく、減らすこともできたのです。」
「でも、アインシュタインは、実験室では重力を変えることはできないと言ってますよ。ほんのわずかの変化をもたらすのにも、天文学的な大きさが必要だと。」その若い男性は言い張りました。
しかしアルは落ち着いて答えました。「そうですね。でも彼は、完全な公式を用いていなかったのでしょう。ウィティカーの論文によるとこれは実際可能なのです。」
「それでは、なぜ、そのことは一般に知らされていないのですか?」一人の女性が尋ねました。
「よい質問ですね。私が知っている研究者たちには、この種の技術を信頼性のある、完全なものに仕上げるための資金が不足しているのです。この種の装置を開発している大企業もたくさんあるはずですが、彼らは、私たちが車を走らせ、恐竜たちを焼き尽くしてしまったほうが利益が上がると考えているのです。」
「それでは重力と情報には、いったいどんな関係があるというんですか?」研究者は問いただしました。
「その質問を待っていたのです。それは重大な疑問です。少しまわり道をしますが、後で必ず説明をします。でも今はニュートンの物理学から一歩踏み出さねばなりません。量子物理学のしわがアイロンがけされた世界へ旅立つのです。今日では、意識を方程式に当てはめるのは、ごく当たり前のことです。過去2世紀にわたり、科学は宇宙においては人類など、とるに足らない存在だと言うことを死に物狂いになって証明しようとしてきました。ニュートンは、私たちがいようといまいとおかまいなしに、宇宙は満足しているのだと感じていました。ニュートンによれば、宇宙は巨大時計のようなもので、勝手にどんどん動き続けるのだ、いかに物理学の法則といえども、その前には美人にも影響を与えられないのだ、ということになります。それは、私たちが偶然導きだした客観的事実にすぎないのです。森の中で木が倒れたとしても、その音を聞いた人が誰もいなければ、それは音を立てたと言えるでしょうか?ニュートンはまったく気にも留めないでしょう。なぜなら、地面にぶつかって木の枝がこなごなに砕けてしまったとしても私たちは、ただリンゴを取りに来たロボットにすぎないのですから。
古典的な意味での量子力学は、少なくとも観察者を絵の中に登場させました。ニュートンのリンゴの手押し車を悩ませたいくつかの実験のおかげで、量子物理学には少なくとも7つの異なった解釈があります。「我々は前進しながら自分自身の真実を創造する」とか、「宇宙ほど気まぐれなものはない(だからまず、デザートから食べよう)」とか、「何でもあり得る(でも、ありそうなことなど一つもない)」とか、「我々はみんなパラレルワールドに住んでいる(またしてもスタートレック)」など、他にも
まだ3つ4つあります。私はオフビートな(型破りの)科学について話しているのではありません。大学で教えている科学なのです。実際、これらの解釈に比べたら、オフビートなど健全そのものです。では、いったいどんな実験が科学を引っかき回してしまったのでしょう?」アルは答えなど期待していませんでした。
「それは、アインシュタインに帰するのです。彼は独立した、客観的事実の頑固な信奉者で、光の進む速度ほど速い物はないと信じていました。その結果、いわゆる非限定的連携と呼ばれる考えを退けてしまったのです。非限定的連携とは、簡単に言うと、宇宙のあらゆる物は、瞬間的に他の物と結びつくということです。アインシュタインは、この問題について1920年代にニールス・ボーアと激しい論戦を繰り広げました。議論を尽くした後、アインシュタインは、量子物理学の考えが論理的なシステムであると認めざるを得なくなりました。しかし彼は、ハイゼンベルグとボーアの解釈は間違っていると確信していました。
彼は将来、別な見解が現れると感じたので、それを証明するために、ある思考実験を考案しました。この実験は、アインシュタインとポドルスキーとローゼンが共同で発明したので、3人の頭文字をとってEPR実験という名称で知られるようになりました。私はこれを解りやすいように、かなり単純化して説明しましょう。実際の実験では、彼らは光量子の回転を用いたのですが、それだと少し話が複雑になるでしょうから。
光は、粒子としてもあるいは波としてもとらえることができます。この二つの性質を同時に捉えることはできません。それは、次のような相違点があるからです。光を粒子としてとらえようとすると、ビリヤードの玉のように、他の粒子と衝突すると押しのけられてしまいます。波としてとらえようとすると、波間に浮かぶ丸太が潮の干満で浮いたり沈んだりするように、上下には変動しますが、前には進みません。粒子学の理論によると、光はとらえる時点が選択されて初めて粒子なのか波なのかが決定されるのです。アインシュタインは、これはたわごとと考えました。アインシュタインの論文によると、何人かの科学者は、この件を葬りさる実験を提案していたということです。
アルは狂った科学者の役を演じながら続けました。「それはこのような実験です。ここに、二つに分かれてそれぞれ反対の方向へ光を放つ光源があるとします。EPR実験が示す通り、もし、光の一方の端が波なら、もう一方もまた波です。同様に一方が粒子なら、もう一方も粒子だということになります。その距離はこの場合問題ではありませんから、仮に200万光年離れた別の星雲から、一方は地球に、もう一方は、反対の方向に向かって光が放たれたとしましょう。
200万光年後、光が地球に到達するのを私たちはここに座って待ち受けています。さて、私たちはそれを粒子として、それとも波として評価するでしょうか量子学の理論によれば、光は私たちが判断して初めて粒子なのか波なのか決定されるわけです、自分が望む時にその判断ができる、という点にアインシュタインは確信を持ちました。光が粒子なのか波なのかを地球上で決定し、200万光年を(実際には200万光年離れた光源から、さらに200万光年行かなければならないので、400万光年先、ということになる)離れた反対側に影響を与えることなど不可能なのは明らかですよね……というのは誤りです!30年後ジョン・ベルが、ある定理(ベルの定理)を発見したのです。これにより、誤りが明らかとなったアインシュタインの立場は非常な打撃を受けました。ベルの定理が証明されると、その打撃は決定的となりました。」アルはテーブルを叩いて力説しました。
「ちょっと考えてみてください。もし光子が光速で二手に分かれてそれぞれ反対の方向に進んだとしたら、離れてゆく速度は光の2倍に達するのです!ならば一方の光子は、どうやってもう一方の光子に粒子になるか波になるかを伝えるのでしょう?この情報は少なくとも光の2倍の速度で伝達されなければならないのです。これは、学界をひどく悩ませました。」
「光が一瞬で宇宙を横切り情報を伝えられるとしたら、私たちにもそれは可能なのでしょうか?」私は尋ねました。
「それが、まさにSE-5がやってのけることなのです。SE-5にとって距離と時間は情報伝達の重要な要因ではありません。どれほど離れていようとも、あなたは誰にでも実験を試みることができるのです。」アルは答えました。
「さっき、重力と情報について何かを言おうとしてませんでしたか?」例の若い教授が言いました。
「ああ、そうでした。」アルが答えました。「今、その話をしようと思っていたところです。」でも、その前に、スカラーの風光明媚な地をドライブしなければなりません。先ほどの空間の点を覚えていますか?私たちはあの点に3と言う意味を与えましたね。点に意味を与えるといったごく簡単な行為で動き始めるか説明しましょう。
空間上の点は量子物理学でいうところの仮想粒子と同じ物です。仮想粒子とはとても素早く現れたり消えたりするので、実際にはここにあると「見なされている」粒子だと考えてよいでしょう。だいたいこのあたりということで、正確にではありません。みなさん、あらゆる可能性が考えられるということはご存じでしょうね。これは、物理学においては自明の理と認識されていることです。仮想粒子はすべての可能性を一度に表すものなのです。
すべての起こり得る現象は、仮想可能性の海で、今この瞬間に起こっているですのす。あらゆる可能性のうち、今ここで起こっているのはただ一つです。みなさんが、ここで私の話を聞き、この謎を解き明かそうとしているのも、無数の可能性のうちの一つなのです。なぜ、これが事実で、UFOが窓から飛び込んでくるということが事実でないのでしょう。(あるいは、その逆もあり得るかもしれませんが。)
あらゆる可能性は考えられますが、そのすべてが実現可能だというわけではありません。私たちはよく、核と陽子を中心としてそのまわりを回転する電子を持つ原子を太陽系に例えます。これもまた、ニュートンに端を発するのです。物理学者たちは、核を中心に想像を絶する速度で回転する電子は小さな粒子ではなく、むしろ雲か波のような「仮想状態」として存在しているのだ、という結論に達しました。だからこそ、そこにあるかどうか調べようとしたその瞬間、電子は姿をあらわすのだ、と。」アルは話し終えて、しばらく沈黙しました。
それから、再び話始めました。「この見解の不可解さを、ちょっと考えてみてください。この電子の粒子は、あなたが第六感を働かせてそれがそこに存在するかどうか調べようとした、まさにその時、姿を現すのです。みなさんの自動車はどうでしょう?それがあるかどうか外を覗いた時にのみ現れて、この仮想粒子の状態に復帰するのでしょうか?ならば、いったいどうして誰も見ていないうちに埃だらけになるのでしょう?私たちがこの世界に関する予想と同意をつかの間でも手放してしまったら、私たちがこの世界に関する予想と同意をつかの間でも手放してしまったら、いったいどうなることでしょう?量子物理学においては、研究者たちは原子のまわりの電子の雲は、彼らがそれを確認しようとした時どの部分からでも崩壊して仮想粒子の状態に復帰するのだ、ただし姿を現す確率が高いいくつかの場所はあるらしいと考えてきました。これは統計学上の見込みですが。つまり、あなたの車はあなたが見ようとした時、たぶんそこにあるだろうということを意味します。ただし、あなたの車がコルベットやポルシェで、見張りなしにL.A.の街角に14分以上とめた場合は別ですよ。」私たちはみな笑い声をあげました。
「SE-5は確率を組み立てる機械と呼べるでしょう。可能性を確立に変えるのです。つまり、ある現象を起こりやすくするということなのです。それで、SE-5はいささか型破りな科学と考えられるのでしょう。SE-5は時として、量子物理学者がこの説のインパクトを完全に容認するように仕向けるのです。」
私は、あの二十歳そこそこの若き教授をちらりと見ました。彼にはアルの話が完全なハーモニーを奏でる歌声に聞こえるようでした。

時のご来光堂 玉川 準陽
http://tokino.net/

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